購読している雑誌PHPに以下の文がありました。
ちょっと長いですが掲載します。
「いただきます」毎日唱えるこの言葉を、
あなたは真剣に考えたことがあるだろうか。
私は食べることが好きだ。だが、そこに命をいただくという意識はなく、それまで唱えていた「いただきます」は形式的なものでしかなかった。
そんな私の食に対する価値観を変えたのは「鶏を食べる会」だった。鶏を食べる会は、生きた鶏を私たちの手で締め、解体し、食べるというものだった。楽しそうという軽い気持ちで参加を決めた私は当日、屠畜(とちく)の説明を聞き、言葉を失った。
「三回捻ってから、ナイフを首で切り落としてください」
生き物は苦しませず、簡単に殺せると思っていた私は、この言葉の想像を絶する残酷さに生き物を殺すことが急に怖くなった。
痛いだろうな。苦しいだろうな。覚悟を決めた私は、その首を一気に捻った。
そこからはショックで何も考えられなかった。ようやく立ち直ったのは、屠畜した鶏のスープが八割がた完成し、辺りに鶏ガラのいい匂いが立ち込めていたときだった。
そのとき、唐突に私のお腹が大きな音を立てて鳴ったのである。
私は先ほどまで可哀そうと思っていた鶏に、過去最大級の食欲が湧いていたのだ。数時間前まで生きていた鶏の命を奪い、食べる。そこには罪悪感以上の食欲があった。なんと図々しいのだろう。
そんな人間の身勝手で奪われる命だからこそ、感謝していただこう。そう思い食べたスープは、今まで食べたどんなものよりも美味しかった。
私はあの鶏のことを思うと、生き物の命を奪い、食べることは悪行なのだろうかと思うことがある。
しかし、生き物を食べなければ、私たちは死ぬ。そんな人間の都合で奪う命だからこそ、私はしっかり味わい、残さず食べることを信条としている。そしてその感謝から、私は毎日唱える。「いただきます」と。
この文を書いたのは高校生の女の子です。
自分もその気持ちを忘れずにごはんをいただきたいと思います。